嘘でもいいんだ
それも君の一部だから
042:偽りだと判っていても、惹かれてしまう僕はなんて愚かなんだろう
「そう言えば君は学園生活も送っているらしいが」
カタカタとキィを打っていた指先を止めてゼロが振り向いた。紡錘状に上下の先端部へ向けて細っていくゼロののっぺりとした仮面はチューリップを思い出させるなとライは茫洋と思った。細い突起まであるからますますチューリップじみている。そう言えばチューリップってあまり虫が寄ってこない花だって聞いたなぁ蜜がないんだっけ?
「アッシュフォードだけど…マンモス校だから有名かな。カレンと同じ学園だよ」
ゼロはふむ、と仮面の中で息を吐き、考え込むように小首をかしげて見せる。初対面の時に感じた疎外感はここのところ鳴りをひそめている。ライとゼロとが閨をともにしてからだ。ゼロの素顔の秘密のためにライは目隠しを受け入れ拘束にも耐えた。ゼロは快感の呻き一つを響かせて無駄口も利かない。声を聞かれては困るということか。つまりそれは遠回し的にゼロをライは知っているということになる。だが、ともライは思う。ライがゼロを知っていたところで何かしら変化を起こすのはゼロだけでライの方は何でもない。そもそもライは記憶喪失者である。知己などいないし、今までもお前の知り合いだと名乗り出たものもいない。ライの世界はぶつりと切断されて孤立し、学園とこの団体との二つを結ぶだけだ。それを踏まえたうえでゼロが声にまで気を使うとなるとゼロは学園の関係者と言うことになってしまう。まさかな、とライはいつもその結論を笑う。百戦錬磨とはいかずともある程度の効果を上げたレジスタンス団体がなんの確証もなしに後ろ盾さえないゼロを祭り上げはしないだろう。ライと所属を同じくするカレンはゼロを信奉しているし、黒の騎士団の原型をまとめ上げた扇もゼロを信用している。
そもそもゼロの正体を知ったところでライにはどうしようもない。知己がいないとはそういうことだ。情報を流すべきつてがないということである。ライが知って、それで完結してしまう。広めるとしてもこの黒の騎士団ないがせいぜいだ。だからライはゼロの気が済むならと思って眼隠しや睦言のなさを堪えている。
「出席日数などは大丈夫なのか? 作戦決行日に試験があるなどと言われてはこちらも困る」
最後の方は冗談らしく仮面の奥で笑う気配があった。ライもクックッと肩を揺らして笑い、寝台の上からむくりと起き上がった。
「仮入学だから大丈夫。籍は置いてあるが卒業を目的としていないから。僕が誰か判らないのは学園側にも不確定要素だから、いつでも切れる位置に置いてもらってる。いざとなったら彼は仮入学者で本校の正式な生徒ではありませんと言ってもらえるようにしてあるよ」
「それはずいぶん用意がいいな。カレンとは違う意味で頭が回るようだな」
「カレンは病弱で通しているようだね。大人しく振舞うのは僕は苦手だ。………嘘が嫌いだからね」
ぴく、とゼロの肩が揺れたのを見てライはひらひらと手を振った。
「あぁ、君のことを責めてるんじゃないんだ。ゼロはその仮面が象徴なんだから正体を明かしたら逆に混乱を呼ぶだけだ、僕も知らない方がいいと思う。C.C.が知っているんだろう? 彼女が知っていれば十分だ。ゼロのカリスマ性はその何物でもない仮面が占めているんだから」
ゼロは作業に戻らない。ライはぶるりと震えて毛布をかぶった。白い裸身が情交の跡もあらわに、刹那に閃いたあと毛布の中へ隠れる。
「僕は自分が誰かも判らないだろう。だから身動きが取れなくて。でも戦闘機に乗っている時は気が紛れていいな。血を見るのが好きってわけじゃないけど、戦闘や殺し合いを僕は、知ってるようなんだ」
「聞こうか」
「断片的なものさ。戦いの雄たけびや命のやり取り、殺気と血飛沫と、人の焼ける匂い。知ってるかゼロ、人って燃えると鼻が曲がりそうな悪臭を放つんだよ」
くすくすくすくす、とライは肩をすくめて笑った。
「だから僕も嘘つきさ。騎士団のみんなは僕をただの記憶喪失でよりどころのない哀れな子だと思ってる。だけど僕は戦い方を知っている。戦闘機にも乗れる。…――人殺しを知ってるんだ」
ゼロは何も言わなかったがその呼気さえ聞こえない。ライはつまらない話を聞かせたな、と詫びた。
「私と閨をともにして素顔を見たいといわないのはそれが理由か」
「ゼロ、僕は嘘つきじゃない人間なんていないと思ってる。みんな、嘘くらい吐いているさ。見ないふりをしたり気付かなかったりしてるだけだ。誰かのためという言葉はそのまま、誰かの所為に通じてしまうと僕は思うんだよ――」
反論しようと身を乗り出すゼロをライは仕草だけで抑える。寝台を軋ませて端へ寄り、素足が床に下りる。尖った膝や長い脛骨が透けるようだ。
ライは白い。亜麻色の髪は日差しによって刻々と色を変える。肌は透けそうなほどに白く骨格の好さがよく判るような華奢な体つきだ。年頃のわりに手脚は長い。双眸は玉眼の煌めきで薄氷色かと思えば群青のように濁っている時もある。ライに決まった色はない。髪も瞳でさえも当たる日差しやあてられるライトで色を変える。ゼロが仮面で全てを覆いかくすのとは違い、形は変えないが色が変わる。夕暮れ時に日差しを浴びたライの髪は頭頂部から銀色に染まり毛先へ行くに従って金色になるという稀有な変化さえ見せる。そんな特異体質から検索をかけても知りあいは名乗り出ないどころか情報網に引っかかりさえしない。
「ライ、君は綺麗だな。そして頭も良い」
「そんなことを言うのはゼロくらいだな」
ごろ、と転がって腕を伸ばしたライは大きめの枕をとり、毛布を巻きつけた腰や脚を絡めた。ぎゅうと枕を抱きしめているようなそれはまだ彼の幼さを示すように愛らしい。
「シャワーでよければそこから直通で行けるから行けばいい。体は大丈夫か」
「あれだけ激しく抱いておいて大丈夫かもないもんだね。避妊具を使ってくれたから大丈夫」
ぎゅむ、と顔を伏せるように枕にしがみつく。
「ライ、お前は嘘が嫌いだと言ったな」
返事をしない。ゼロは気にするでもなく言葉をつづけた。
「その論理で行けば私のことも嫌いか。この仮面を閨でさえ外さず、君の目を塞ぎ声さえ殺す。私に抱かれるのは、嫌か?」
返事はない。ゼロはきいと椅子を軋ませて寝台の方へ向き直る。寝台の上では胡坐をかいて枕を抱きしめたライが枕に顔を伏せている。腰を隠すように毛布がまとわりついて妙に艶めかしい。亜麻色の髪の隙間から見える耳が紅い。脱ぎ散らかった黒い団服が行為の唐突さと激しさを残す。機械音声を響かせるゼロにライは無言で顔を背けた。
「嫌いじゃない。僕は君を嫌いじゃない。君が誰かも判らないのにな。それでも僕は、君になら嘘を吐かれてもいい」
馬鹿みたいだな、とライは顔を上げて笑った。白皙の美貌の中で目元だけは紅く腫れていた。双眸が潤んで部屋の明かりを乱反射させる。きらきらとしたそれは静かな湖面のように凪いで、そのくせ内側にほとばしるような強さを秘めている。ゼロの仮面には部屋が湾曲して映し出される。スプーンの虚像を眺めているかのように、幼いころの無垢な気持ちを思い起こさせた。
「ゼロが本名だとは思わないし、仮面の奥の顔がどんなものかも知らない。僕は嘘を吐かれている。それでも」
どうしてだろう、君を嫌いにはなれないし、君の助けになれたら嬉しいな。
そう、思うよ。
「お人好しだな」
無味乾燥な機械音声だがそこに優しさがにじんだような気がしてライは声を立てて笑った。
「なんだ、お前にそんな余裕はないだろって怒られるかもって思ってたのに」
ゼロがふっと笑ったような気がした。艶のある布地はさらりと絹のように滑らかで、それに包まれた細い指先が演説の時のように閃いた。
「私は君の記憶に拘泥しない。今の君の戦闘力、指揮能力、それらを総括した今の君を私は評価している。たとえ君が、そう…ブリタニア人であっても、私は君の起用を取りやめたりはしない。それだけの価値を私は君に認めている。君がそんな弱気では困るな。団体の士気にかかわる。幹部に名を連ねるものは容易に揺らいでなどいられないぞ」
ライの瞳が見開かれていく。群青がみるみる色を変えて暗菁となり薄氷へと変わっていく。薄まっていく双眸は玉のように潤み艶めいている。
「君が偽りだと判っていても偽りだらけの私に惹かれてくれたように、私もなにも判らない君に惹かれているよ。ライ、私は君を愛している」
顔も声も判らない相手に言われては気持ち悪いだけか、とゼロは仮面に指先を当てる。顔を覆うようなそんな仕草にライは思わず声を発した。
「駄目だ! 駄目だ、ゼロ。君は誰かに拘泥してはいけない。ましてや僕なんかとんでもない…! 素性さえしれないんだぞ、もしかしたら君の敵であるかもしれない、そうなったらどうするつもりなんだ、僕はこの団体の幹部にまで食い込んでいるんだ、敵だと知れたら、君の責任が」
愉快そうな笑い声が機械音声でこだます。椅子の背を軋ませるほど仰け反ったゼロが呵々大笑している。
「ライ、君は恐ろしく馬鹿だぞ。敵だったとして、そうかもしれないなんて忠告をするものか。それに私には奥の手もある。君一人に何もかもを背負わせるほど腑抜けではない!」
私の情報管理能力を舐めてもらっては困るな。はん、とゼロはチリでも払うように指先をひらめかせて肩をすくめてみせた。スカーフを留めるピンがきらりと反射する。
ゼロの仮面には目鼻がない。だから大まかにどこを向いているかしか判らない。それでもライは射すように強いゼロの視線を肌に感じたような気がした。びりっと弾けるように駆け抜けた疼痛は戦闘の殺気にも似て目に見えないものだ。
「ゼロ、奥の手は僕にもある。それがなんであるかは言えないけれど…こうして何か判っていることも言えない、こんな僕でも好きかい」
「愚問だな。仮面で顔を隠し閨の際にも外さず、ヴォイスチェンジャー越しの声しか聞かせない。そんな私に好意を寄せてくれる君を私はどうして嫌いになる」
ライの顔が笑った。困ったように笑って眦に雫が揺れる。紅く腫れていく目元は熱を帯びて呼気も浅く速くなっていく。反乱を起こそうとする横隔膜を抑えこんでライは平静を装った。
「ライ、君には価値がある。君が失くしてしまった過去もこれから君が作る未来も、私はそれら全てを総括して付き合っていくつもりだ。この団体を脱退したいというなら…私は反対だが意見としては検討しよう」
ふるふる、とライが首を振る。亜麻色の髪がちらちらと部屋の明かりを散らした。ほろほろこぼれる雫がライの白い頬を濡らしていく。真っ赤な目元に眇めた瞳は真っ赤に潤んでいる。
「ありがとう。だから僕は…僕は君が好きだ。もし僕が君の敵だったら、容赦なく殺してほしい。君と戦いたくないから」
「そうなったら奥の手だな。私の奥の手は強力だぞ。君を絶対服従させることも可能だ。だがそれは本意ではない。出来れば君の意志で、私の下にいてほしいがね」
「ゼロ、君は馬鹿だね」
「ライ、君こそそうだろう。その言葉、そっくり返してやる」
二人で声を上げて笑った。
好きになるのに理由なんか真実なんか関係ない
それは本当かも知れないと
「ありがとう、ゼロ。…僕は、君の下で頑張ろうと、思うよ」
「期待している。無論、これからの関係も含めてな」
とさり、と寝台に転がったライを見てからゼロは作業に戻った。かたかたかたかた、とキィを叩く音が一定のリズムで響く。それは行為に疲れた体の眠気を誘う。そう言えばゼロは、行為につかれたライが眠りこんでしまっても叩きだしたことはない。優しいんだな、とライは心中で呟いた。とっつきにくいのに懐へ入れてしまえば誰よりも寛容だ。
「あ、れ?」
そんな人がいたような、気がしてライは目を擦った。それでも芽生えた眠気がライを捕らえて引きずりこんでいく。とろとろとした眠りに身を任せてライは眠りの海へ沈んだ。
不意にキィを叩く音が止む。ゼロはそっと仮面を取った。ルルーシュと言う顔があらわれる。振り向けばライは寝台の上で毛布を腰に絡ませ枕を抱いて眠っている。ルルーシュはふぅわりと微笑んでから歩み寄ると体をかがめた。
「好きだよ、ライ」
ちゅ、と音を立ててその白い頬へ唇を落とす。
「隠し事だらけのオレを好きになってくれるお前を、オレは好きだよ」
本心。君には見せられないよ、だってカッコ悪いからね。
ルルーシュは仮面をつけると作業に戻った。
《了》